2013年6月7日金曜日
二〇一一年 一一月 金曜・深夜
二〇一一年 一一月 金曜・深夜
遡ること一年前、まだ悟と沙里が出会ったばかりの頃。
「最近、一人で飲む酒の量が増えたんじゃないか?」
沙里を気遣うのは、バーマスター、滝 良彦(たきよしひこ)。
フォトグラファーとして過去にはそれなりに活躍した人物らしいが、その経歴を口にすることはまずない。
滝のガッシリとした体型にはスーツがよく似合う。
スーツは歳をとってから、出始めたお腹にあわせて着こなさないと様にならないと言う話もあるが、彼に関してはその逆で、体を鍛えあげる事でタイトに仕立てたスーツのラインを維持し、キリッと真っ直ぐに伸びた背中が魅せる落ち着きと貫禄は誰もが醸し出せるものではなかった。女性客が安心して飲みに来れるようなバーであることは、滝のたたずまいからも見て取れる。沙里は白髪まじりの口ひげに大人の色気を感じつつ、まるで映画ボディガードの「ケビン・コスナー」のようだと思っていた。
「いつもこれくらいは飲めるんです」
「そうだっけ? 初めて来た時モルトしか無いって言ったら、しばらく固まってた子がそんな酒飲みには思えないけど」
滝はラフロイグ十年、シングルの水割りをカウンターに置く。
頬を赤らめ、カウンターの一点を見つめて長い息を吐き、沙里は一気に飲み干すと、黙ってグラスをマスターに差し出した。
さすがにこれ以上下手なことを聞くのはやめておこうと、滝は黙ってグラスを受け取ると、そっと流しにグラスを置いた。
沙里は赤くなりゆく顔色とともにゆっくり眼を閉じた。このままほっておけば、きっと彼女は寝てしまうだろう。けれどたまには、それもよしとしておこうかと、滝が半ば呆れていると撮影帰りの田中悟がやってきた。
滝はドアを開けた悟を見ると、沙里が眠り始めるよりはるかにまずい表情を浮かべた。 悟はと言うと、沙里の寝顔しか目に入っていない。
悟はジーンズのポケットからiPhoneを取り出すと、沙里の寝顔を撮影しようとゆっくりと近づく。
「おい、やめろよ、盗撮じゃねえか、それじゃあ」
「彼女が起きたら、許可もらいますから」
滝はほとほと呆れていた。悟の女癖の悪さに加え、かなりタイミングが悪い。悟がこの店に来る時は大抵他で一杯、いや十杯は引っ掛けたあと、最後の締めで来る。
女性客さえいなければ、こいつはいい奴なんだけれど、と……
悟は沙里の隣に座ると、沙里の寝顔を見つめながら。
「ヴァージン、ロック、ダブルで……八年」
「ねえよ! 七年しか。 八年は廃版つったろう!」
滝の手の中で、四角い氷は適当な楕円になり、グラスに余りつつ放り込まれ、バーボンは目分量で波なみと注がれた。 悟は出されたバーボンを飲む時、鼻に氷が当たっていようと、何も気にはならなかった。悟は眠る沙里の横顔をみつめながらつぶやいた。
「この子はなんでこう、さらけ出せるかね、自分を」
滝はグラスを洗う手を止めると、悟がまだ昔のことを断ちきれずにいることを察した。が、かけられる言葉はやはりなかった。
「どうして、そう思う?」
「画になる寝顔をしてる。ちょっと間は抜けてるけど」
いびきをかいて眠る沙里の表情は、眉間にしわがよりつつも、子供がグズって癇癪を起こした時のような、ほおっておけない愛嬌があった。
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