二00六年 十月
三上涼子(みかみりょうこ)は、満月の夜、飲み屋街、雑居ビルの非常階段で酔いつぶれて眠る悟を、その傍に立ち、蔑み、見つめていた。
どうせこの男も、そのうち私に手を出してくる。
涼子は悟の過去を調べ尽くしていた。その中で、楓という女性とわかれた後も、悟にはそこそこ彼女と呼べそうな女性がいた事を知り、一人の女性を探し求め街をうろついている、ストーカーとまでは言わないまでも一種執念というか、そういうものを持った男と、女のストーリーではないのではないか? と疑念を抱いていた。
涼子は疑念を一度抱くと、その答えを掴むまでとことん追求していく。誰に反対されても、危険な目に会おうとも、その追求をやめたことはなかった。けれど、今回は半ば、悟と楓の恋路にはもはや興味もなく、それにつきまとう事件性の方が気がかりになっていた。悟は、ひとつの事件への導入をくれたきっかけでしかなくなっていたのだ。
秋の飲み屋街はそれほど華やかではないが、ネオンは相変わらず派手に街角を照らしてはいた。しかし照らせば照らすほど、気味が悪いぐらい影がさす。その影の先に向かうものは少なからず災いにあうか、最悪死ぬか、どちらにせよ、その影はあまりに深かった。
その影の中から、非常階段を見上げる初老の男がいた。
その男はくわえタバコに火も付けず、ただじっと非常階段を見上げている。ネオン・サインが光るたび、時たま浮かび上がる涼子の姿を、その目はしっかりと捉えて離さなかった。
涼子が起き上がった悟を介抱しながら、その場を立ち去るのを確認すると、男は影の中に、一歩下がり身を潜めた。二人が通りに出てタクシーに乗り込むまで、その目はずっと影から見つめている。
タクシーが走りだすと、男は通りに姿を出した。
なんてことはない灰色のスーツを着、ネクタイもしていない冴えないオヤジ風の男なのだが、タクシーのナンバーをメモに取ると、ビルの1Fに入っている夜の街の無料案内所に入っていく。横柄な態度で座っていた店の親父は緊張した面持ちで立ち上がると、そのよれた男のくわえタバコに火をつけようとした。
「なにやってんだ!これ1本しかねえんだ!」
男の怒鳴り声に通りは静まり返る。すぐさまチンピラが何人か店に駆けつけた。
「この人はいいんだ、タバコ、おまえ買ってこい、、、」
無料案内書の店主は、顔面蒼白になって若いのを走らせた。
男は店内に掲載されているキャバクラや風俗店の看板を隅々まで嘗め尽くすように見ている。
その光景の異様さから、駆けつけたものは誰もその場をすぐさま離れていった。関わりたくなどない、誰もが直感でそう思ったのだ。
翌朝、涼子の部屋で悟は目を覚ました。慣れた様子でシャワーを浴び、冷蔵庫の中にあるサンドイッチを手に取るとベランダに出た。
「この人はいいんだ、タバコ、おまえ買ってこい、、、」
無料案内書の店主は、顔面蒼白になって若いのを走らせた。
男は店内に掲載されているキャバクラや風俗店の看板を隅々まで嘗め尽くすように見ている。
その光景の異様さから、駆けつけたものは誰もその場をすぐさま離れていった。関わりたくなどない、誰もが直感でそう思ったのだ。
翌朝、涼子の部屋で悟は目を覚ました。慣れた様子でシャワーを浴び、冷蔵庫の中にあるサンドイッチを手に取るとベランダに出た。
涼子の部屋からは街が見下ろせる。なんでこんな高層マンションにこの女は一人暮らししてるのか?悟は住む世界の違いを感じながら、この部屋に泊まる時はこの街を眺める。そもそも広島に、こんな高層マンション必要なのか?とさえ思いながら。
悟の知っている広島は、街、というよりは、町、だ。
隣に生きている人の顔、声、息の匂いまで知りあうほど狭く、同じ場所で遊び、その場所を生きる人達がいて、不思議とお互い干渉しあわず、でもどこかで繋がっていて、どこの生まれで、親父が誰で、どこの高校を出て、大学を出て、そういう系譜というか、自分の肩書きが幼い頃から綿綿と知れているような、そんな生きやすくも生きにくい、町。
田舎者が集まった、集合体の都会、というそれとは違うのだ。
その町に、街的な異変が起きたとすれば、楓との遭遇であり、また、三上涼子のような女がズケズケと走り回るようになったこの数年の事、なのかもしれない。もしかしたら、もう、自分の知っている町の灯は、もう灯らないのかもしれないと、悟はどんなに二日酔いがひどくても昼過ぎにはこの部屋を出て行くようにしていた。夜の街など、見下ろす気にはなれないからだ。
悟がマンションを出て歩き始めると、涼子から電話が入った。でも、悟は電話に出ようとしなかった。悟もまた、関係をそろそろ終わらせないと行けないと考えていたからだ。体の関係こそないものの、酔いつぶれては涼子のマンションで目を覚ますなんて言う事自体、これ以上、心のなかを知られては困ると思っていた。
Chaton(シャトン)
小松マコは店内でアッサムティーを。店主である美幸はその傍らにただ静かに座り、無言の二人は壁にかけられた悟の写真を見ている。
「なんで出ないのよ。」
そこに携帯を片手に涼子が入ってきた。いつもより勢い良く開いた扉に、寝ていた猫が驚いて外へ飛び出していった。マコは怪訝な顔をした。けれど美幸は相変わらず無表情だ。
「悟さんのことについてお伺いしたいことがあって。このお店見つけるの大変だったんですよ。」
涼子は店に飾られた写真に近づいては手に触れ、これも、これもと騒ぎ出した。
「この写真を撮っていた頃の話を聞きたいんです。楓、という人、いましたよね。よくここにも来てたんじゃないんですか?何者で、何をしている人で、そういう話をここで随分されたんじゃないんですか?」
美幸は表情一つ変えようとしない。
「黙ってるんだったらこっちから行きますよ。わたし、フリーのジャーナリストをしてます三上涼子と言います。私が今追っている事件は二千年のこの時期、一人のホステスが殺された事件。刺殺された彼女は名前も戸籍もなかった。彼女の事だけじゃないんです。戸籍のない人々のことを追っています。その中でも、特筆すべき存在が楓というホステスだった。なにせ生存を確認できていたとき、その時点で未成年。当然店は潰れ、彼女に関わった多くの人々の人生は狂った。それに、不思議なことが一つ。犯人とされている人物が未だ逃亡中だっていうこと。店で働いていた人の中には逮捕され、まだ塀の中って人までいるっていうのに、です。
そういう中で、あの悟という人だけは難を逃れて、街をうろついていた。その年のクリスマス・イブでさえ、楓という人を探して。おかしいと思いませんか?そんな謎の女性を探し歩いていれば、普通は危険な目にだって会うはずなのに、彼は、悟という人はその後もこの街で仕事を続けている。
面白いくらい会うんですよ、同じ店で、飲んでも飲んでも、いくら飲ませてもこの話をしようとしない。なにかの組織とでも繋がってるんじゃないかって疑いたくもなるくらい。」
滝が飛び出した猫を抱えて店に入ってきた。出勤前のコーヒーをといつものように頼みたいところだったが、今日は様子が違う。滝を見ると美幸はコーヒーを作りに店の奥へ身を潜めた。
「マコちゃん、今日は長居するの?」
滝の一言に、マコは、はっと時計を見た。もう13時半、マコはテーブルにお金を置き、滝におじぎをすると急いで店を出た。
マコが座っていた席に、ゆっくり滝が座る。抱えていた猫はテーブルの上をとことこと歩くと、涼子の方を睨みつけ、ぷい、と店の奥へ走り去った。
正面に座る涼子は、まだ話し続けようとしていた。
「あなたのことも、ずっと探してました。絶対に悟ってひとは、あなたの店を私に教えようとしなかった。」
「俺が誰だかわかるのか。」
「わかってます。全部調べてあります。悟の周辺についてはね。けれどこういう出会い方じゃなくて、酔った勢いで、悟の彼女としてお会いしたかったです。そのほうが、色々聞き出せたし。」
滝は鼻で笑った。
美幸はコーヒーを滝に差し出す。滝はコーヒーを手にとることなく、ただじっと涼子の口元を見ていた。涼子は頬杖をつくように口元に手をやりながら、落ち着きなく話している。おそらくは口元を見られたくない、それはつまり、ハッタリも半分、いやそれ以上にかましているはずだと滝は察していた。
「その写真を見て何を感じた」
滝の言葉に涼子は壁にかけられた写真に振り返る、とその瞬間、滝はテーブルの上の、マコが飲んでいたアッサムティー入のティーボトルをひっくり返す。中身はテーブルの上をまっすぐ流れ涼子の膝にかかった。驚いて床に転げ落ちた涼子。
「すまんすまん、怪我、ないか?」
猫も隣の部屋から顔をのぞかせ、涼子をあざ笑う。
そして美幸は、黙ってその光景を見ていた。
立ち上がると涼子は手で、濡れた白いジーンズを拭った。
「田舎もんの慣れ合いもここまでよ。」
バッグを鷲掴みにし涼子は店を出て行ったが、おそらくしつこくやって来るだろう、あの手この手、態度も変えて。
美幸は滝をじっ、と見ている。
「わかったよ、、、床は俺が拭くよ、、、ちったあ感謝しろよ」
滝は自分に入れられたコーヒーを一口のんだ。
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