程なくして、悟は当然のことながらiPhoneのカメラ機能に興味を持った。レイカはいつも、悟が寝た後に自宅にやってくる。いつの間にか現れては、いつの間にかそばに居て、いつの間にか、大切な存在になった。そんな、いつ現れるとも知れないレイカとの距離を縮めておけるものが、iPhoneで、twitterで、ソーシャルネットワークだった。
レイカに見せたいものを、僕が撮る。
悟がそういう心境になるまでに時間はかからなかった。
けれど、そのことが逆に、悟とレイカの距離を遠く離していってしまう。いつもそばにいなくても良いような、そんな距離感が、どんどん深くなって、悟が深夜目を覚ましても、窓の外、そこにあるのは三日月だけ、なんてことも少なくはなかった。
次の満月はまた二人で見れるんだろうか? なんて感傷にしたりながら夜空にシャッターをきることもあった。
二千十一年 十二月 下旬
一ノ瀬(いちのせ)と沙里は八丁堀のカフェでお茶をしながら通りを行く人々を眺めていた。ふたりともこれといって浮いた話など無いし、無言でコーヒーを飲む。帰社する前の一服といったところだ。
「こうやってお茶するの初めてですね」
一ノ瀬が不意に切り出してきた。無言のままお茶をして事務所に戻り仕事をする。それくらい一ノ瀬と沙里は咬み合わないでいたし、沙里は一ノ瀬との関係を保とうなんてせず、マイペースに仕事を進めていたから、世間話なんてされるとは思ってもいなかった。
「言われてみれば。まあ、渡(わたり)さんとこの仕事も順調なわけだし。悟さん……中田さんも、もそこそこちゃんと写真撮影してくれてるし。広島在住のプロが撮るウェディング写真集とか、ありきたりな話もなんだかね、燈子(とうこ)さんが個展やるとかやらないとかそういうところに持ってきて、バリュー効かせてるし、いい方向に向かってるんじゃないのかな。」
一ノ瀬は退屈そうに頬杖をつき遮った。
「そんなことどうでもよくて、どこまで悟さんのこと分かりあえてます?」
なんでこんなことを唐突に聞くんだ!? と沙里は飲もうとしたコーヒーのマグカップを口に当てたまま固まった。
「やっぱり困るとわかりやすいですね」
やっぱりこの女とは合わない。と沙里は思いつつ視線をそらした。
「こんなに殺到すると思います?渡さんとこのウェディングが東京で流行っていたからといって、この広島で、地方でいきなり撮影依頼殺到すると思います? それ全部、彼の人望なんですよ……」
彼、と一ノ瀬が口にしたことを気にしつつ、焦って動揺し、沙里は一ノ瀬の方を見れず、視線を落とした。
そして言われてみればとさりは思った。そういえばなぜ久々にカメラの仕事を再開した悟のスタートが綺麗に切れたのか不思議だった。私しか彼のことに気づいていない、だからこそ全力でサポートするという気持ちとは裏腹に、悟は明らかに自力で一気に、この街で存在感をあらわにしていた。
「美幸さんのカフェにも、滝さんのバーにもよく行くんですよね? なのに、なんで、何も知らないんですか?」
沙里は急に不安になった。
一人暮らしを始めてこの街にも慣れてきたけど、出会った人たちのことを本当は何も知らないんじゃないか?と。自分のことも理解してもらえてないんじゃないかと。孤独感に苛まれて滝のバーにも一人で通っていたわけで、美幸のカフェもふらふらと、偶然近づいてしまった結果知った。その先に悟という存在がいただけ。
私は悟の何も知らない。過去も、何も。
ただ、あの日、あの朝焼けの中写真を撮られて、舞い上がっていただけなのかもしれない……
「彼を好きなった人はみんなそうかもしれませんけどね。一気に吸い寄せられて、気づいて知り合う頃には、急激に冷めざるをえないような裏側を知ってしまうとか、そういうことは、恋愛じゃあよくありますもんね。」
一ノ瀬はカフェの窓から見える大型街頭ビジョンをじっと眺めていた。 そこには、今売り出し中の歌手であるレイカが映しだされていた。
「悟さん、意外とtwitterとか、tumblr(タンブラー)とかやってるんですよ。」
tumblr? カフェでコーヒー飲む時の水筒みたいなあれ?
沙里は意外とインターネットに疎い。中でもソーシャルネットワークなんて使ったこともない世界だった。
「知らない彼を、現実と隔たれたもう一つの世界に、一度探しに行ってみてください。なにか、沙里さんがしてあげたいこと、見つかるかもしれないです。」
一ノ瀬はそう言うと席を立ち伝票を持って先に店を出た。沙里がどんな表情をしていたのかなんて振り返りもせずに、言うべきことだけを言って。
沙里と渡(わたり)に、こないだの夜なにがあったかは知らない。けれど、沙里の悩みがわかるとすれば、沙里は渡の仕事を楽しんでしていない。むしろ避けようとさえしている。そして、悟の事が気になって彼のことしか見えていないのがよくわかるし、そのことが、一緒に仕事をしていてとても見苦しいほど滑稽だったからだ。どうしてそんなに悩むのか? 悟が気になるならアプローチなりすればいい。いくら女だからってあまりにその姿は恋に臆病すぎる。
沙里と渡(わたり)に、こないだの夜なにがあったかは知らない。けれど、沙里の悩みがわかるとすれば、沙里は渡の仕事を楽しんでしていない。むしろ避けようとさえしている。そして、悟の事が気になって彼のことしか見えていないのがよくわかるし、そのことが、一緒に仕事をしていてとても見苦しいほど滑稽だったからだ。どうしてそんなに悩むのか? 悟が気になるならアプローチなりすればいい。いくら女だからってあまりにその姿は恋に臆病すぎる。
一ノ瀬は、自分だって悟とのことを悩んだ時期はあったけど、このままじゃいけないと、憧れるキャリアウーマンの燈子(とうこ)の真似をして決断力を早くするように心がけて仕事に専念してきた。悟への思いを自分から断ち切って。このまま情けない自分でいちゃいけないと。悟のことを思えば思うほど弱くなる、悟のカメラ助手をしていた頃の、ひとりで何も出来ない悩んでばかりの自分が嫌で。
誰かを真似ることで、自分にも信じられない力が湧いてくることを一ノ瀬は身を持って感じていたから、沙里の恋愛に対する、一歩踏み出せない優柔不断な姿は、昔の自分を見ているようでほっておけないくらいイライラと日々感じていたのだ。
沙里は、一の瀬が店を出る前に見つめていた街頭ビジョンに目をやった。この女性と、悟のなにが関係あるのだろう?と。
沙里が遅れて店を出た後、街には、レイカの唄が流れていた。
その唄のタイトルは「この手に持つべきもの」
「待ち続けることを繰り返しながら、
部屋の隅で夜空を見上げていた。
いろんなものを失って、
周りが何も見えなくなって、
たくさんの友が去っていった夏の日に
いつも心配そうな眼差しをくれたあなたをまっすぐ見れなくて
あなたが眠った後、寝顔を見に部屋に忍び込んだ
知らなくてもいい過去と
知ってほしい、もっと見てほしい今の自分。
知らなくてもいい過去と
二人で創りたい新しい記憶
あなたが教えてくれた、本当の友達の意味
この手に持つべきものが、それとわかった時
私はまた強くなれた……
立ち上がることに疲れながら
雑踏の中空を見上げた
通り過ぎる人ばかり、
自分がとっても小さく思えて、
気づいてくれたあなたと目が会う、秋の日に
私は大丈夫と無理やり笑ってふざけ続けてまとわりついた
あなたが眠った後、寝顔を見ながら心を許し泣いた
知らなくてもいい過去と
知ってほしい、もっと見てほしい今の自分。
知らなくてもいい過去と
二人で創りたい新しい記憶
あなたが教えてくれた、本当の友達の意味
この手に持つべきものが何なのかわかった時
私はまた強くなれた……
あなたがあの日、話してくれた過去のこと……
私があの日流した涙と、あなたへの思いは変わらない……
永遠の友達
知らなくてもいい過去と
知ってほしい、もっと見てほしい今の自分。
知らなくてもいい過去と
二人で創りたい新しい記憶
あなたが教えてくれた、本当の友達の意味
この手に持つべきものが何なのかわかった時
冬の寒さの中、
私はあなたの手を、離せないでいた……」
私はあなたの手を、離せないでいた……」
ビルの屋上で、レイカの唄が流れるこの街の夕焼けを、悟はiPhoneを空にかざして写真に撮った。
「振り返るなよ……レイカ……」
悟はそう心のなかでつぶやくと、夕暮れの空の写真をtwitterへの投稿した。そしてそれを、ひとりのフォロワーがお気に入りに追加した。
今や一躍有名になったレイカにとって、twitter上での彼女のフォロワー、いわゆるファンは日々急激に増え、数万を超えていた。
そんな中たった一人。いまだにたった一人、レイカがフォローし返している相手、双方向でつながっている、ただ一人の相手が、中田悟だった。
沙里がこの事に気づくのにさほど時間はかからない。
そして、沙里は、これをきっかけに悟の、過去の傷を知っていくことになる。
滝の存在、カフェの美幸の事、悟を取り巻く状況が、異質なものに見え始める、その年の暮れ、夕焼けは、いつもより赤く染まっていた。
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