2013年8月5日月曜日

恥じる時

 

 

二千十一年 十二月 中旬

 沙里と一ノ瀬(いちのせ)は、PR代理店communの会議室で、島田と上司の竹本、そしてクライアントの渡(わたり)とともに企画会議をおこなっていた。

 沙里の上司竹本は、したり顔で頷くのみ。ほぼ渡(わたり)の独演会状態であった。

「この街は、広島という街は少々小さい。ですが、それだけに情報も収集しやすい。薬研堀という飲み屋街から紙屋町という中心地までの間でほぼすべてのことが足りる。誰もが、その街を目指し、夢を語り、愚痴をこぼし、噂が広がる。 これは県民であれば誰もが認める事実でしょう。その街の中で、どこでどうイベントを行えば一番効率がいいか? そんなことは言わなくてもわかりきっている。 だが、そこに入り込む隙がない。 地方というのはどこもそうですが、特にこの街は隙がない。 その中で、私が東京で活躍し名前が全国的に広まっているこの1年しかチャンスはないと思ってます。」

 沙里はあいも変わらずこの渡(わたり)という男が好きになれなかった。自意識過剰であり、なおかつ、腹が立つ事に確かに彼は全国から注目を集める起業家であった。

 沙里は見抜いていた、というより、見る人が見れば、渡(わたり)という男はゼニゲバの成金でしか無かった。 批判も当然のごとく起きている。 そういう中で、何をこの男が目指しているのかなどどうでもいいことではあった。 だが不思議なことに、一ノ瀬はこまめにメモを取り、島田は軽蔑の表情を浮かべながらもときおり竹本と目を合わせては頷いている。

 なんだこの空気は……

 沙里のいらだちとは裏腹に、渡(わたり)は、沙里のことが、怪訝な表情で聞く沙里のために話しているようなところがあった。

 この長く、くだらない会議が終わったとき、沙里は公然と、渡(わたり)に食事に誘われてしまった。

 行け、と、上司竹本に目で合図された沙里は、半ば強引に渡に同伴するはめになった。

 一ノ瀬は淡々と何かをタブレット端末に入力し、島田は竹本と談笑。誰も彼女を助けようなどとしなかった。

 丘の上、渡は広島の街が見下ろせるレストランへとクルマを走らせ、沙里をエスコートした。

 沙里は高級車の助士席に乗り、AUDIのエンジン音に驚きながら、曲がりくねった道を行く渡の無表情なハンドルさばきに怯えつつ、光り輝く街に時折目をやりつつ、そのほとんどは硬直した両足と、シフトレバーに気を取られぐったりと疲れ果てていた。

 丘の上のイタリアン。 それはそれは美味しいディナーなのだが、沙里にとってはこれほどの苦痛な時間は無い。なにせ、渡がなぜ自分を指名したのか、仕事の上でもプライベートでも皆目見当がつかなかったからだ。

「覚えてますか? 僕が広島に久々に降り立ち、活動の拠点を移した時、あなたがなんと言ったか?」

 沙里は全く覚えていなかった。なんの話なのか? 竹本ともに赴任したその瞬間まで遡っても記憶に無い。

「あなたは、この街が嫌いなら、この街に住まなければいいといった……」

 思い出した! 沙里の悪い癖だ。活動拠点を広島に移したばかりの渡のパーティーで酒に酔い、広島について語る渡の言葉が批判めいた愚痴に聞こえ、ついつい口にしてしまったのだ。

しかし、その時の気持ちは今でも変わっていない。この男がこの街に住む理由など、沙里には全く見当がつかなかったからだ。

「僕は、政治家になります。」

 この言葉に、沙里は面食らった。そもそも動転すると身動きをとれなくなる癖もあるが、この時ばかりは本当に面食らった。

「驚かないでいただきたい。このプロジェクト、来年までかけて行うプロジェクトが終われば、僕は出馬します。 僕はこの街を嫌いなわけではない。変えなければならないと思うことが、山ほどある。国政に関してもね。」

 ここからまた、渡の独演会が始まったのだが、沙里は、この時ばかりは少し共感してしまう言葉が多かった。

 東京という街に全国民の6分の1にあたる人々が住み、日々、3分の1にあたる4千万近い人々がいきかう。誰もがその街を目指し、その街に有能な人材、権力、金、ありとあらゆるものが、集まりすぎている。 地方から変えなければ、地方から活性化させなければこの国の未来はどうなるのか? という渡の言葉に、沙里は少し心が揺れていた。 

 そもそも渡は東京の生まれではなかった。

幼いころまでは広島で暮らしていた。 それが父の転勤とともにアメリカ、東京とわたりあるいて来たようなところがある。はたから見れば華麗なる人生でも、本人からすればそれゆえの阻害と、仲間のいない人生からくる世間への反発感と、地道な努力で今の地位を作り上げた孤独があった。 

それは人並みならぬ努力という言葉では言い尽くせないものだ。

 彼がなぜ?そこまで広島にこだわるのか? 沙里もまだよくわからなかった。ただ、この日、この男の眼差しは真っ直ぐで、本当に、なにかこの世界を変えてしまうんじゃないか?というくらいに心を刺すものがあった。

「あなたの言葉には、私は正直ショックでした。この街を思うあまりに口に出た言葉が、批判めいていたなんて。私にはもう、時間がないんじゃないかとその時に気付かされました。もし、この街でこの先3年かけていたら、私がこれまで築いたものは、跡形もなく崩れ去る。かつて東京で栄光を得ていた、ただの人として扱われるでしょう。」

沙里の目を、渡は見つめていた。まっすぐに。

「やれるところまで、やるということじゃないんです。 自分の可能性と、この街の可能性をシンクロさせたいんだ。この街だから出来たと、この街でやり直せたと、私は、言いたいんです。」

 その決意と、知られざる事。沙里は不安と、渡の放つ言葉の意味に強く心を揺さぶられながら、その日、寒空のもと、広島の街を見下ろしながら、渡に、不意に抱き寄せられたことを、強く、恥じていた。

 

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